photo04 畿央大学高校生エッセイコンテストは、本学のキーワードであり、私たち一人ひとり、そして日本の将来にとって大きな意味を持つ「健康」と「教育」について、未来を担う高校生のみなさんに考えるきっかけとなってほしいとの思いを込めて開催しています。第4回となる今回は「いのち」「子ども」「衣・食・住」「自由テーマ」の4つの分野で1265点の応募をいただきました。多数のご応募、誠にありがとうございました。審査の結果、入賞10作品と学校特別賞2校を決定しました。

入賞者発表

 
テーマ タイトル 受賞者 高校名/学年
最優秀賞 4 そんな先生に私はなりたい 坂本 こころ 大阪府立東住吉高等学校/3年
優秀賞 1 いのちの声を聞く 大谷 萌依 京都府立山城高等学校/3年
優秀賞 2 父から受け継いだもの 中嶋 優弥 大阪府立芦間高等学校/3年
優秀賞 3 自然と共存する家 真継 葵 京都府立山城高等学校/3年
優秀賞 3 懐かしいあの場所 森山 絵理香 大阪府立千里高等学校/1年
佳作 1 平等ないのち 猪股 玲美 宮城県・古川学園高等学校/1年
佳作 3 いのちと農と食と 今井 美木子 兵庫県立山崎高等学校/3年
佳作 3 かやぶきの里の心 勝山 理子 京都府立北桑田高等学校/3年
佳作 3 ハンバーグ 竹下 佐智江 大阪府立千里高等学校/1年
佳作 3 私の自慢のお弁当 武政 唯奈 京都府立田辺高等学校/3年
(優秀賞・佳作は五十音順)

学校特別賞

大阪府立千里高等学校
  • 京都府立山城高等学校
(応募点数が多く、1次・2次審査を通過した作品が多かった学校を選出しました)  

テーマ

1いのち 2子ども 3衣・食・住 4自由テーマ
第3回エッセイコンテスト入賞作品を見る
最優秀賞

そんな先生に私はなりたい

坂本 こころさん(大阪府立東住吉高校3年)
「こころのおかげで学校来れて楽しかった。こころ、ありがとう。」 ―これは、小学校から一番の仲良しだったAが、中学校の卒業式で私に言ってくれた言葉だ。 父親と二人暮らしだったAと、両親が中学校教員で毎日夜が遅かった私は、小学校時代は毎日一緒に夕方遅くまで遊んでいた。中学校入学後、部活も別になり、一緒にいることがなくなった。そして、Aは部活をやめ、不登校になり、非行に走り、みるみるうちに変わり果ててしまった。一方、私は毎日が楽しく充実していた。 疎遠になっていたAと私を再び結びつけたのは、中三の担任のB先生だった。B先生は、Aを学校に戻し、みんなと一緒に卒業式を迎えさせてやりたいこと、そして、そのためには昔からの友だちである私の力が必要であることを伝えてくださった。 B先生と私とAの間に一年間で、辛いことや悲しいことなど様々なことがあったが、秋の合唱コンクールではAも一緒に舞台にあがることができ、優勝もできた。高校受験の時には、「受験しても無理だから受験しない!」と自暴自棄になるAにB先生は寄り添い、私も一緒に勉強し、最後には高校をきちんと受験してくれるまでになった。入試の朝、家の食卓に同じお弁当が二つあった。食事のほとんどがコンビニのパンだったAに、私の父がお弁当を作ってくれたのだ。父の心遣いがうれしかった。朝一番にそのお弁当を持って、Aを起こしに行った。 卒業の日、Aは私に泣きながら言ってくれた。「こころのおかげで学校来れて楽しかった。こころ、ありがとう。」と。しかし、それは私のおかげではなく、「Aにも楽しい学校生活を送らせたい!一緒に卒業式を迎えさせたい!」というB先生の熱い思いがあったからだ。 子どもたちが仲間とのつながりを深め、楽しく毎日を過ごせるよう寄り添うことができる、 そんな温かい先生を、私は今、目指している。  

【作品講評】

教師をめざす人は、よく自分に注がれた教師の熱意の影響をあげる。このエッセイでも、担任の教師の思いに動かされたことが記されているが、それは学校から離脱傾向にあった友人に向けられたものであり、教師から作者に期待された役割を含めて三者の関係が描かれているところに特徴がある。多感な年代にあって、友人関係の影響の大きいこと、期待されることで力が発揮されることなどが、淡々とした記述の中からうかがわれる。具体的に友人にどのような働きかけをしたかは、詳細には書かれていないが、それだけに友に寄り添う姿勢が伝わってくる。合唱コンクール、入学試験、卒業式といった学校生活の節目の行事におけるエピソードによって、短い描写ながら心の通い合っていくようすがまざまざと浮かび上がってくる。父のさりげない協力を描いた部分も感動的である。みずからの感情を過剰に表現することなく、人と人とを結びつける上での教師の取り組みの意味など、多くのことを的確にあらわした作品である。 (教育学部長 上杉孝實)  
優秀賞

いのちの声を聞く

大谷 萌依さん(京都府立山城高等学校3年)
爽やかな初夏の中、ツバメが空を舞う。何かをくわえ、急いで羽ばたくツバメの先に目をやると、口を大きく開く子どもたちの待つ巣がある。そんな光景を見るたび私は、少し昔のことを思い出すのだ。 晴れた五月の午後、自転車で買い物に出かけたときだった。人通りの少ない裏道では、ツバメをよく見かける。鳴き声が聞こえるからここにも巣があるのだろうと、ガレージの天井をちらっと見ると案の定、今か今かと母鳥を待つツバメの子が巣から身を乗り出していた。いつもの光景の中、私は先へ進もうと自転車のペダルに足をかけたが、ふと巣の下に目がとまった。小さなツバメが横たわっていたのだ。思わず自転車をとめて駆けよると、ツバメの子が少し動いたように見えた。頭上では母鳥が他の子にエサを与えている。この子の戻る場所はない。私は思いつくがままに子ツバメをハンカチに包み、たまたま近所にあった小さなペットショップに駆け込んだ。 「うちではどうも出来ひん。かわいそうやけどな。」当然だ。動物病院ではないのだから。でも私の手のひらは今にも消えそうな命を感じている。私は店のおじさんの助言をもとにツバメの子を胸に入れ温めながら、近くの動物園へと自転車を走らせた。そして信号待ちをしている時、命のぬくもりを感じた。ツバメの声が聞こえたのだ。弱々しく、だが生を感じる確かな声が。 あれから何年経ったのだろうか。私の手元にはツバメの死を告げる事務的なハガキのみが残っている。小さなツバメの死は、この大きな世界ではちっぽけなことかも知れない。だが私はツバメの声を思い起こすだけで、それは間違いであることに気づく。大きな世界の中でツバメは、ひとつの命として確かに存在した。そんなツバメの声を聞くことは、足元を見過ごしていれば二度と叶わなかっただろう。あの声は命の教えとして、今も私を支え続けている。  
優秀賞

父から受け継いだもの

中島 優弥さん(大阪府立芦間高等学校3年)
「ありがとう。」という友の声に、僕は父のことを考えた。体育祭の翌日のことだ。僕はこの日、120個のシュークリームを焼いた。僕が団長を務めた応援団の全員に感謝の気持ちを伝えたかったのだ。朝3時に起きシュークリームを焼いたが、一度失敗して100個分無駄にした。この時、少々不出来でもそのまま持って行こうかと迷ったが、父の「いい加減な物を人に食べさせるな。」の一言で、また作り直した。総製作時間6時間のシュークリーム。みんなは喜んでくれるだろうか。僕は緊張した。しかし、こ の不安は見事に杞憂に終わった。シュークリームを手にした友の顔は輝き、幸せそうに食べてくれた。この時、僕の胸には父の姿があった。 小学生の時、父がパン屋を始めた。パン屋の仕事は過酷だ。父は毎朝2時に起き、帰って来るのは夜の7時、休みは週に1回のみ。これでは、いつ体を壊してもおかしくないと僕は不安を抱き、疑問も感じた。作業場をのぞくと、父はいつ見ても同じ作業をしている。この生活のどこに生き甲斐を感じているのだろう。僕たち家族のためか。それとも、パン作りそのものが楽しいのか。 シュークリームを食べる友の笑顔。それを見る僕は、心の底からの満足感に満たされた。その時に突然、気付かされた。父の 毎日は、こんなことの繰り返しではないか、と。父はパンを買って食べてくれる人のために、毎日パンを焼いている。誰かのために苦労することが父の喜びだったのだ。そして、今、友の笑顔に喜びを感じている自分。この幸せは、毎日父の姿を見続けたおかげだ。 子供は親の背中を見て育つと言う。そう言えば、父が笑顔の時は僕も笑っていた。そのおかげか、僕は「いつも笑顔がいいね。」と、人によく言われる。そして、自分が汗を流すことで人を幸せにする喜び。僕はそれを父から受け継いだのだ。パン屋は継がないが、この喜びを感じる心を大切に、これからも生きていきたい。  
優秀賞

自然と共存する家

真継  葵さん(京都府立山城高等学校3年)
私は小さな頃から田舎にある祖父の家に行くことが大好きだ。私の家から車に乗って約40分。同じ京都の中とは思えないくら い静かで、広くて、自然がいっぱいある場所にひっそりと祖父の家は建っている。 一体、何十年前に建てられたのだろう。だいぶ年季が入っているらしく、ところどころ柱が黒ずんでいたり傷んでいたりするけれど、建てられて以来、数十年もの間ずっと大切に手入れされてきたその木造の家は確かに古いけれど、どこか温かみがある。 山に囲まれた祖父の家の周りには、はっきり言うと娯楽が無い。しかし、私は縁側にじっと座って外の景色を見ているだけでも全く飽きなかったし、何より気持ちが良かった。小さい頃、ふと祖母に「なんでおじいちゃんの家はこんなに気持ちいいんやろな。」と尋ねたことがある。すると祖母は「木や土や紙、自然のものを使って建てられたこの家が、山があって水や土、空気がきれいな自然豊かなこの田舎の土地に馴染んでいるからやで。」と教えてくれた。 言われてみれば確かにそうだ。瓦や柱、畳、たんすや机などの家具まで、ほとんどのものがやさしい自然の素材でできている。街中に建てられたコンクリートの壁や鉄製の柱をもつ家と違い、自然に囲まれ、四季に、風の向きに、太陽の光に合わせて建てられた祖父の家は、家全体で自然のエネルギーを吸収しているような気がした。 「家は人々がその土地に根を張り生きていくために、上手く場所、気候、風土、宗教に適応させて建てたものだ」と祖母から聞いたことがある。とても落ち着く祖父の家も、きっと山の静かな雰囲気に上手く適応するように建てられたのだろう。自然との共存の仕方を知っている祖父の小さな木造の家は素敵だと思った。  
優秀賞

懐かしいあの場所

森山 絵理香さん(大阪府立千里高等学校1年)
少し黄ばんだ鍵盤の上を、私の指が駆けていく。古くて何十年も調律されていないピアノが、おばあちゃんの家にある。小さい頃から好きだったこのピアノ。小さい頃から弾いていたこのピアノ。古いそれは、いつも私を迎えてくれた。それの前に座ると、どうも安心する。昔の小さな自分がそこにいるのだろうか。と、そんなことをふと思う。 おばあちゃんの家には匂いがある。そもそも、どこの家にもその家特有の匂いがあるらしい。私は他人の家の匂いはあまり分からない。しかし、おばあちゃんの家の匂いははっきりと分かる。どこか心がすっと安らいでいくのだ。庭に広がる草花の香り。玄関に飾られている油絵の絵の具の匂い。応接間に置いてあるソファの匂い。寝室のたたみの香り。私はどの匂いも好きだ。そしてそれらは昔からあったものであり、小さなときから馴染んできたものでもある。 私は「いつまでも変わらないもの」が好きだ。世の中は諸行無常であるといわれる。だからこそ、変わらないものが好きなのだ。前に述べたおばあちゃんの家と、そこにあるモノたちは変わらずそこにいた。勿論、時代の流れとともに変わったり、なくなったものはあった。だが、私の小さい頃から変わらないでいたモノは、おばあちゃんの家に多くあった。昔からずっと変わらないその場所、そのモノというのは、心と体で感じられるアルバムのようなものだ。幼かった時からの思い出が直接染み込んでいるのだ。そう考えると、古いものでも素晴らしく思えてこないだろうか。切なく思えないだろうか。 私たちの日常的な思い出、何十年か後にきっと輝くであろう思い出が一番染み込んでいく場所は、自分が住んだ家だ。生活した家だ。だから、今の生活を大切にして生きていきたいと私は思っている。それから、今生活している家と、家にあるモノたちも。  
佳作

平等ないのち

猪股 玲美さん(宮城県・古川学園高等学校1年)
「おじいちゃんが死んだって、誰も悲しまないよ。」傍から見れば、単に酷い言葉だと思うだろう。 私の祖父は、認知症だった。かなり進行していて、言ってみれば、身体の大きな赤ん坊のようなものだった。何をしでかしてしまうか分からず、必ず誰かがついていなければならなかった。片時も目が離せず、体力が必要な祖父の世話は、普通の人にできるようなものではない。受け入れてくれない施設が多く、ほとんどは祖母が面倒を見ていた。祖母は強い人だった。しかしその苦労は並大抵のものではない。夜中に寝てくれず騒ぐ祖父の世話をする祖母の方が参ってしまいそうだったし、母も私たち兄妹も疲れきっていた。「くたばれ!」という祖母は今にも泣きそうで、本気で心中するつもりではないかと思う時期もあった。そんな祖父も、数年前に死んだ。 急性肺炎で、あっけなかった。その日もいつも通り元気だったので、私は信じられなかった。そして、涙が出た。いくら手が掛かろうと、ひどいことを言おうと、かけがえのない、私のおじいちゃんだったのだ。 人は老いると、病気ならばなおさら、厄介者にされる。世話をするというのは、とても骨の折れることだ。実際ニュースで「介護に疲れ殺害」というのを何度か見たことがる。正直言って、無理もないと思うのだ。その苦労は、痛い程わかる。しかし、どんなことがあっても、消してよい命などない。殺してしまいたいと思うときもあるかもしれないが、その人だって、がんばって生きているのだ。そんな命を、誰が消してよいと言うのだろうか。当たり前のことだが、壊すのは簡単で、二度と取り戻すことはできない。そのことを、忘れないでほしい。 たくさんの人の手によって育てられた命には、計り知れない尊さがある。そしてそれは、誰であっても同じはずだ。  
佳作

いのちと農と食と

今井 美木子さん(兵庫県立山崎高等学校3年)
将来の夢は、お総菜屋さんを開くこと。それも、ただのお総菜屋さんではなく、「栄養士が考えた、地元で採れた素材を使って、栄養満点、ナイスバランス、身体に合わせたお総菜屋さん」だ。「食」と「環境」に視点が置かれている今、農業を守り、地球に正直で、心も身体も健康にしてくれる、そんなお総菜屋さんを開きたい。 この考えの起点は、私の家が自営業で養鶏業を営んでいることだ。一言で「こだわりの卵」というのはもったいないくらい、飼料や飼育法などすべてにこだわり、愛情たっぷりの鶏を育て、その鶏が素晴らしい卵を産んでくれる。安全な食品を消費者に届けること、これがどれだけ手間がかかり、難しく、でも、どれだけやりがいのあることか、両親や地元の人、たくさんの人の笑顔が教えてくれた。 私の家に来た実習生に、父が「この実習の感想は。」と聞くと、「生きるために食う、食うために生きる。」と答えた。自然と共生するライフスタイルで、当たり前のこと、いのちをいただくことに感謝する、そんな大切さが、ひしひしと伝わってきた。歩けない頃から鶏につつかれ、田畑に放置され、歩けるようになったら長靴を履いて泥だらけになりながら手伝いをして、最近では鶏さばきをするようになった私は、食育を通して、本当の教育をしてもらったと思っている。 だから私は、今までの生活すべてが活かせるように、食と農の大切さ、いのちの大切さを伝えられる人に、みんなの心と身体を健康にできる人になる。「就職」とうと、スーツを着て、革靴を履いて、満員電車に押しつぶされる生活を思い浮かべるが、私がそんな生活をすると、生きるための基礎を見失い、身体を壊すことが思いやられる。私は私の生き方で、これからの社会に貢献できるように、世間に通用するように、これからずっと私のいのちを磨いていきたい。  
佳作

かやぶきの里の心

勝山 理子さん(京都府立北桑田高等学校3年)
厳しい寒さの後に訪れる芽吹きの緑、光輝く川の流れ、あでやかな紅葉、変わりゆく四季の変化。「気ぃつけて行きやぁ。」「今、帰ってきたんかぁ。寒いし、風邪ひかんときやぁ。」いつも声をかけてくれる、地域の人達の穏やかな表情と温かな言葉、これが私の住む「重要伝統的保存地区美山かやぶきの里」である。 そこでの生活は厳しい。都会のような交通の便利さや、オール電化の生活はない。まして、近隣に商店や娯楽施設は一切ない。自然の厳しさの中で、自然を慈しみ守り、地域の人達との助け合いによって成り立っている生活である。 かやぶき民家を一軒守ることも、地域の人達の協力があってこそである。夏場に茅を刈り、乾燥させ保存しておく。そして、二十年に一度古くなった家の茅の葺き変えが行われるのである。 「こんな不便なとこ嫌や」「なんで、こんな生活せんなんの?」そんな言葉を何度か大人に投げかけ、一人悶悶としたことがあった。しかし、この地を離れ進学する私に、「あんたらの帰って来るとこを、ずぅっとこのまま残しとかなあかん。」と、口にした祖母の言葉を聞き、この地に生まれ生活してきた祖母の、自然や人、土地に対する熱い思いに気付かされた。 「美山かやぶきの里」は、自然を守り、人とのつながりの中で支え合い、自然と人の成長を共に喜び、命を守って生きていく共同体としての集落であった。 そこには、語り継がれた風習があり、伝統文化があり、新たな村おこしへの広がりをみせ、大切なものを残していこうとする地域の人々の思いがつまっている。 「美山かやぶきの里」そこには、単なる「住」だけの生活があるのではなく、「心の柱」としての生活の場でもあった。この発見を大切にし、守り抜く一人の大人でありたいと思う。  
佳作

ハンバーグ

竹下 佐智江さん(大阪府立千里高等学校1年)
あれは確か去年の冬だった。ささいな事で妹とケンカをした。親は外出中で、部屋の中は重い空気。お互いに気まずくて何も話さない。親が帰ってくれば少しは空気がやわらぐのだが、その日に限って二人で晩ごはんを作らなければいけなかった。その日のメニューはハンバーグ。前日二人で約束した。夕方になって私は準備を始める。「ハンバーグ作るで。」とぶっきらぼうに一言言って。 初めは無言だった。黙々と野菜を切る私のとなりで、妹も黙々と作業をしている。そんな状態がいつしか、荒っぽいけれど一言、二言言葉をかわし、気がついた時には元どおりいつもの二人に戻っていた。 ハンバーグを作り始めて数十分。ハンバーグの形を作る作業に突入した。「見て!ハートの形。」「こっちは星やで。」二人だけのキッチンに、二人の笑い声がひびく。さっきまでの沈黙は一体何だったのかと思わせるほどはしゃいだ。自分で作ったハンバーグを自分で焼いて、母と父の分も焼いた。お皿に野菜を盛りつけてハンバーグをのせる。完成だ。上手く焼けた私のハート型ハンバーグと、少しこげた妹の星型ハンバーグ。レストランのものに比べると見た目は悪いけれど、きっと味は一番だ。なぜかそう思えた。実際に食べてみると、味が少しうすかった。だが二人には関係ない。二人で作った楽しさと、二人で食べる楽しさには、焦げ目も味のうすさもかなわなかった。「ちょっとうすいけどめっちゃおいしいな。」「うん。おいしい。」 窓の外は冷たい風が吹きつける寒い夜。ハンバーグのにおいに包まれた暖かい部屋で私と妹は、おなかを満たした。  
佳作

私の自慢のお弁当

武政 唯奈さん(京都府立田辺高等学校3年)
私の自慢の母が作ったお弁当。現在では幼稚園や小学校に通う子どもがいるお母さんの間で流行していると言われている「キャラクター弁当」。私が小学生のときや中学生のとき「キャラ弁」はまだあまり知られておらず、作る人もほとんどいませんでした。が、母は私が遠足や運動会、受験の日にはいつも「キャラ弁」を作ってくれました。母が作る「キャラ弁」は見た目が可愛いだけでなく、味のバランスや組み合わせもしっかり考えられていました。それに加え、母からのユニークな手紙付きなのです。 高校入試の日、同じ中学校から受ける女子がいなくて、会場に向かうときも、休み時間に席で座っているときも不安でいっぱいでした。お昼ごはんのときも一人でした。お弁当のふたをとめているゴムにはさまれている手紙を取って読んでみると「いつもは使っていない頭いっぱい使ったから、お腹すいたやろ。受験番号も490080で『よう食うわ』やし。テスト頑張りや。」と書かれていました。お弁当箱を開けると、真ん中にはうさぎ型ののりがついているおにぎりがありました。両側には梅干しで作られたチューリップの花びらと、のりで作られた茎と葉っぱがついたおにぎりがありました。受験当日の朝も、苦手な科目の歴史が頭の中をグルグル回っている状態で、体調も崩してしまっていたけれども、母のお弁当と手紙のおかげで元気づけられました。 私は母の作ったお弁当を食べるのも大好きでしたが、お弁当箱を開けるときの「今日はどんなお弁当かなぁ」というドキドキした瞬間、手紙を開くときのウキウキした瞬間も大好きでした。私は母の心のこもったお弁当で何度も元気づけられました。料理は腕前ももちろん大切です。でもそれ以上に心が大切だとわかりました。 私も将来、子どもに心のこもったお弁当が作れたらなぁと思います。