第5回 畿央大学高校生エッセイコンテスト入賞者の全作品を掲載しました。

2010/10/20更新

photo01 畿央大学高校生エッセイコンテストは、本学のキーワードであり、私たち一人ひとり、そして日本の将来にとって大きな意味を持つ「健康」と「教育」について、未来を担う高校生のみなさんに考えるきっかけとなってほしいとの思いを込めて開催しています。第5回となる今回は「いのち」「子ども」「衣・食・住」「自由テーマ」の4つの分野で3655点の応募をいただきました。多数のご応募、誠にありがとうございました。審査の結果、入賞10作品と学校特別賞3校を決定しました。

入賞者発表

 

テーマ タイトル 受賞者 高校名/学年
最優秀賞 1 弟のいのち 滝本 唯 和歌山県立笠田高等学校/3年
優秀賞 1 自然と共に 足立 久美瑚 静岡県立気賀高等学校/3年
優秀賞 2 過去と今と未来の私 篠田 麻佳 大阪府立千里高等学校/2年
優秀賞 1 自傷行為と命 鈴木 美沙 愛知県立蒲郡東高等学校/3年
優秀賞 4 学ぶということ 藤井 貴恵 The Mount School (London)/2年
佳作 4 未来に対する希望 河野 ひかる 愛媛県・済美高等学校/1年
佳作 3 父の料理 小城 理沙 愛知県立蒲郡東高等学校/3年
佳作 1 いのちの鼓動 剣山 知佳 三重県・皇學館高等学校/2年
佳作 3 空間 佐藤 巴香 大阪府立千里高等学校/2年
佳作 4 大きな勘違い パク キエ 兵庫県・神戸朝鮮高級学校/2年

(優秀賞・佳作は五十音順)

学校特別賞

大阪府立千里高等学校

  • 愛知県立蒲郡東高等学校
  • 岡山県立岡山南高等学校

(応募点数が多く、1次・2次審査を通過した作品が多かった学校を選出しました)

テーマ

1いのち 2子ども 3衣・食・住 4自由テーマ

第4回エッセイコンテスト入賞作品を見る

最優秀賞

『弟のいのち』

滝本 唯さん(和歌山県立笠田高等学校/3年)

「あっ、手が動いた」
私が「いのち」を感じた瞬間である。
先天性心疾患を持って生まれた弟。小さな体で大手術を受け、ICUでその手の動きを目にして弟の命を確認した。私は、弟に誰にも負けない強さを感じる。手術は成功したものの、今もみんなと同じようにスポーツはできない。それに軽度の知的障害もあり、なかなかみんなの輪に入れない。弟は友達の代わりに音楽を見つけた。家の中はいつもクラッシックが流れている。地域の音楽団に入り一生懸命に頑張っている弟を、家族はいつも応援し、音楽と共に暮らす弟はいつも輝いている。
弟は、家族を笑顔にしてくれる。海の荒れる波を見て「水が躍ってる!」弟の言葉に家族は驚き、弟の心の豊かさを感じた。また、私の心の中を見通しているかと思うほど、私が悩み沈んでいる時、屈託のない笑顔で話しかけてくる。その笑顔で自然と元気になったものである。家族の中で弟は、大きな、大きな存在である。
今年の八月、弟は再び入院した。新たに脊椎側彎症であることがわかったのである。弟は、どこか旅行にでも行くかのようになぜかワクワクしている。これからの自分に何が起こるのか分かっていないのである。私に、「目が覚めたら、もう治っている?」と天真爛漫な弟。心臓病のこともあり、リスクの高い手術となるのがわかっていたが、不安にさせまいと、「絶対治るから、心配ないで」と伝えた。ところが、手術日が近付くにつれ、弟の表情は変わり、「こわい、こわい」と何度も言うようになった。「大丈夫やで」としか言えない自分が情けなかった。入院後は、いつも迎えてくれる弟の「おかえり!」とクラッシックが聞こえない。さみしい。いつもの曲はどこか、と捜してみてもわからない。あきらめた。
手術が終わり、ICUに入っている弟の姿を目にした瞬間、「生きている」涙が止まらなかった。

【作品講評】

本エッセイは、先天性の疾患をもつ弟を気遣う姉の心と、弟の気持ちがたくみに描かれた胸を打つ作品である。記述は淡々として心情の吐露は控えめであり、それだけに生まれたときから弟に寄り添ってきたであろう姉の深い思いが伝わる。脊椎側彎症の手術を前にして不安に怯える弟と、元気づけるしか手立てのない姉の描写の箇所は切なく、人が生きることの哀感を漂わせる。エッセイに登場する人物は弟と姉の二人きりである。しかし文の構成と展開がしっかりしているため、二人の描写だけですべての事情が理解できる。
本エッセイから汲み取ることができるメッセージは、ひとつは「いのち」の共有ということであろう。弟は家族の絆であり、家族になくてはならぬ存在である。だから弟の「いのち」は、家族みんなのかけがえのない「いのち」である。
もうひとつは、希望をもつことの大切さであろう。弟は感性が豊かで音楽に自己の存在を発見し、そこに生き甲斐を見出しているかのようである。弟はこれで人生の道が開けるのではないかという明るい展望を読者に伝える。本エッセイは、さりげない文章のなかに、こうした重要なメッセージが込められた優れた作品であると評価できる。

畿央大学教育学部長 白石 裕

優秀賞

『自然と共に』

足立 久美瑚さん(静岡県立気賀高等学校3年)

帰りが遅くなり、暗い田んぼの中の道を私は一人自転車で下校していた。すると、私の目の前を一匹のホタルが飛んだ。私の家は、自然で囲まれ、鳥のさえずりや虫の音しか聴こえないようなとても静かな場所にある。そして家の裏には川があり、夏、そこにはホタルがたくさん飛ぶ。このホタルの光は毎年私たちを感動させる。田舎ではあるが、こんな場所が私はとても気に入っている。
しかし、環境悪化のせいであろうか。私がまだ幼かった頃と比べ、ホタルの数が徐々に減ってしまった。ホタルばかりではない。様々な昆虫たちの姿も見られなくなった。私たちが大人になる頃、これらの生物たちはいなくなってしまうのだろうか。それを考えると、とても悲しい気持ちになる。そんな中、街では珍しいホタルを見ようと遠くから車を走らせ、訪れる人が大勢いる。子どもたちがホタルの姿を目にし、「いたよ!いたよ!!」とはしゃいでいた。だが、翌朝その場を目にすると、ビンや缶、ゴミの入った袋、そしてタバコのすいがらなどが目立っていた。ホタルはきれいな川にしか、生息しないのだ。地域で行うゴミ拾いに参加して、私はマナーの悪い大人が多いことに気づき、昆虫たちの居場所を奪っているのは人間なのだと改めて思わされた。誰かが拾って片づけてくれると思っているのだろうか。平気でゴミを捨てる人の気持ちが許せなかった。
生まれても、安心して生活できる環境がなければ、生物たちは生きてはいけない。人間も同じだ。人間は自然と共に生きていかなければならないのだ。どんなに小さな命でも必死に生きる姿はたくましく美しい。私は自分の好きな場所を守るためにボランティア活動等に参加することはとても大切だと思う。そして、私が大人になり、おばあちゃんになっても、この小さな美しい光が見られる夏がいつまでも続いてほしい。

 

優秀賞

『過去と今と未来の私』

篠田 麻佳さん(大阪府立千里高等学校2年)

部屋の隅にあるほこりをかぶったダンボール。ほこりをはらって久しぶりに開けてみた。小さい頃の写真がたくさん入っていた。若い頃のお父さんはかっこよかった。お母さんはきれいだった。妹は人形みたいで可愛かった。私は今よりもっと自然体で「私」って感じがした。
遊園地でアイスクリームを食べながらぼーっとしている写真。太陽がまぶしかったのか、目を細めながらお母さんに抱っこされている写真。千歳あめを両手で持って、ちょっと恥ずかしそうにはにかんでいる七五三のときの写真。ハワイの動物園に行ったとき、近くに寄ってきたたくさんの羊にびっくりして大泣きしている写真。そして、家のクリスマスツリーの前で妹とおそろいの服を着て、二人とも顔がぐちゃぐちゃになるくらい大笑いしている写真。大好きな空をベランダから真剣に眺めている写真。そういえば最近は空を眺める時間もないくらい忙しかった。お母さんと手をつなぐことも、ピクニックに行くこともなくなった。何かを見て、何かに対して大泣きもしないし、顔がぐちゃぐちゃになるまで笑うことも、いつからしていないのだろうか。色んな写真があったけれど、どれも感情豊かに自分を表現しているのがよく分かった。
成長するにつれて、人に気を遣うことや、自分をおさえることも必要だということも学んだから、昔のようにただ自分の思うままには動けない。「私」って何だろうって大人に聞いても、大人になれば分かるよと答えられる。考えても、考えてもよく分からないけど、私が昔の写真を見て、楽しそうだな、元気そうだなと思ったように、未来の私が高校生のときの私の写真を見て、楽しそうと思えるように今を過ごしたいと思った。
考えても分からないときはいっそのこと寝てしまおう。考えるのに疲れたときは思いっきり食べよう。気持ちが落ちついたときには、家族みんなで写真を撮ろう。

 

優秀賞

『自傷行為と命』

鈴木 美沙さん(愛知県立蒲郡東高等学校3年)

血が、流れた。手首の鋭い傷口から、生温かい血がどくどく溢れた。別に死にたいわけではなかった。しかし、自分の手首の上をすべる刃先を止めることはできなかった。生きていたい。ただ、誰かに気付いてほしかった。地獄のような日々から救ってほしかった。死にたくなるくらい辛い現実を生きているということを、傷で表した。言葉にすることで弱いと思われたくなかったのだ。そして誰かが気付いてくれるまで、静かに逃げるつもりだった。
数年前、私は自傷行為に依存していた。きっかけはいじめだった。毎日汚物扱いされ、死ねと言われ続けるうちに、自分は本当に死んだ方がいい存在なのだと思い始めるようになった。そして、最初は本当に死ぬつもりで手首を切った。しかし怖くなり、結局死ねなかった。誰かに助けを求めたくなった。それからの私は、発作的に死にたくなっては傷をつけ、助けを求めた。日が経つにつて、傷は痛々しく増えていった。
そんなある日、テレビで重病と闘った少女の生涯を特集していた。少女は心臓が悪く、発作を起こしては生死の境目に立たされていた。そして少女は、最期の瞬間まで諦めずに生きたいと願っていた。生きていても辛いだけなのに、なぜ生きたかったのか。私は考えた。そしてその理由が分かったとき、私は無意識に涙を流していた。
少女は、希望を抱いていたのだ。明日こそは辛さなどなく、楽しいはずだと。そう思うと、私は過去の自分に後悔をした。逃げるだけで、明日に立ち向かうことを諦めていた過去の自分に・・・。
今はもう、自傷行為の跡もすっかり消えた。前向きに、今を精一杯生きている。辛いときも逃げ出さず、死のうとはしない。あの特集を見たとき、少女に託された気がしたのだ。少女が願っても生きられなかった未来を、全力で生きていくということを。だから私は全力で生きる。そしてこれから先も、そうやって生きていく。

 

優秀賞

『学ぶということ』 

藤井 貴恵さん(英国・The Mount School 2年)

最近よく自分にとって本当にためになる勉強とは何かを考える。大学受験が近くなっているからかもしれないが、それと同時に自分に対してこのままで良いのか、という焦りも感じているからだろう。
私は昨年からロンドンの高校で勉強している。それまでずっと日本の学校に通っていたから、来たばかりの頃は何もかもが違って驚いた。
一番の大きな違いは、授業のほとんどがディスカッション形式だということである。理科にしても歴史にしても、先生から教えていただいたり、ノートを写したりという時間よりも圧倒的に、自分たちで考え意見を出していく時間が多い。私はずっと受け身の授業に慣れていたから、展開の速いディスカッションの中で最初はただ右往左往していた。
イギリスでは、皆が思ったことをとにかく発表する。合っているか間違っているかは二の次で、自分が考えたことをためらわず口にする。それに対していろいろな反応があり、そこでまたどんどん議論が深まっていく。詰め込みで表面だけの知識を暗記するのではなく、その知識の使い方を教えるのがイギリスでの教育だと思う。
今は、インターネットで何でも知りたいことが手に入り、多すぎるほどの情報で溢れている。だから大事なのは知識を覚えるのではなく、それをどう応用していくか、どうアプローチしていくかだと思う。私はそれが本当の「学ぶ」ということだと思うし、それができるようになりたい。
「学ぶ」ことは、何も机の前に座ってただ問題集を解くことだけではない。たくさんの人と話したり、本を読んだり、そして自分自身で考えようとする姿勢が本当の学びに繋がるのだと思う。だから私自身も人任せではなくいつも学ぶことに貪欲でいたい。

 

佳作

 『未来に対する希望』

河野 ひかるさん(愛媛県・済美高等学校1年)

人生のターニングポイントはいつだった?と聞かれれば、私は必ず「中学三年生の時の一年間です」と答える。そう、中学三年生の時の一年間で私は大きく変わったのだ。
以前の私は「学校の先生」というものが嫌いだった。教師とは皆、上から目線で物を言い、自分のことしか考えていない利己主義者だと思っていた。しかし、ある先生と出会って私の考えは一変した。
その先生はいつも生徒と同じ立場に立って考え、話をしていた。生徒のことを一番に考え、いつもニコニコ笑っていた。先生はおひさまのように温かい人だった。先生を見ていると、自分まで元気になれた。
「教育」という言葉を辞書で引くと「社会生活に適応するための知識・教養・技能などが身につくように、人を教え育てること」とあった。なるほどな、と私は納得した。だがそれと同時に“だけど”と思った。これらのことも確かに「教育」と言えるのかもしれない。しかし、私が先生から教えてもらったのはそれだけでなく、「未来に対する希望」だった。どんなに今が辛くとも、いつかは必ず楽しいこと、嬉しいことが待っている。人間は少しずつでも確実に変わっていける。そんなよく考えれば当たり前の、だけどとても大切なことを、私は中学三年生になって初めて感じるようになった。
今、私は教育者を志している。嫌いだった「学校の先生」になりたいと思っている。私も尊敬する先生と同じように「未来に対する希望」を教えてあげたいのだ。世の中敵ばかりではないし、良いこともたくさんある。そのことが分かるだけで、きっと子どもの心は救われる。ひとりよがりな考えかもしれないが、自分がそうだったために、こう思わずにはいられないのだ。そして、本当の教育とは、教える側も成長していくものだと思う。それが、生徒と同じ立場に立ち続けられる秘訣なのだろう。

 

佳作

 『父の料理』

小城 理沙さん(愛知県立蒲郡東高等学校3年)

「旬彩料理小城」我が家は料理屋だ。私は幼い頃から高級食材と言われる物を食べてきた。しかし、そのどれもが「美味しい」と思ったわけではない。しかしその中で私が昔から「美味しい」と思う食材がある。それは、魚屋で買う魚でも、八百屋で買う野菜でもない。それは突然家にやってくるのだ。
父・兄・祖父の趣味は魚釣りだ。一年を通してあらゆる種類の海産物を採ってくる。釣れる時もあれば、釣れない時もある。大体、夜中から早朝にかけて行く。仕事の後に行くからだ。なぜそこまでして釣りに行くのか、聞いたことがある。「苦労して得た物を美味しいって食べてもらえたら嬉しいから」と言っていた。なるほど納得である。父や祖父は、自分の採ってきた物を食べさせる時、とても嬉しそうだ。それは昔から変わらず今まで続いている。ほかにも知り合いのおばさんやおじさんが、野菜や近くで釣れた魚を持って来てくれる。きっとその人たちも同じ思いに支えられているのだろう。私の家の食材たちはそんな風にやって来るのだ。
その天然の新鮮な食材を調理するのが我が家の父の仕事。専門の店で買う食材と組み合わせて、とても巧く調理する。私が手伝いでお客さんに料理を運ぶ時、「キレイ」「美味しそう」などの言葉をもらうと、運んでいるだけの私も、とても嬉しくなる。お客さんも、帰る時「美味しかった」と言って帰っていく。その時の父の顔はとても嬉しそうだ。何度も来てくれるお客さんの中には、「この店が一番」と言ってくれる人がいる。ただ高級食材を使うのではなく、誰かの苦労と想いのこもった食材を使うことで、父の料理はレベルアップしているように思う。安くて速いファストフードや、冷凍食品に頼る傾向にある今、少しでも良い食材を使い、自分の苦労を喜びに変える父を、私は尊敬しているし、私もそういう大人になりたいと思う。

 

佳作

 『いのちの鼓動』

剣山 知佳さん(三重県・皇學館高等学校2年)

 

「どくんっ どくんっ どくんっ・・・」
いのちの鼓動。大きなおなかに耳をあてると「生きとるやろ?」と嬉しそうに母が言う。母が鼓動にこだわるのは、過去におなかで消えた鼓動があったからだ。四歳の私は出産に立ち会った。黒々とした髪の毛、「おぎゃー」という泣き声。小さな手や足に力を込めて動いていた。鼓動が消えることなく、こうしてここに生まれてきた奇跡を目撃できた瞬間だ。
五年生の時、祖父の死に立ち会った。祖父の心電図の機械の音が聞こえていた。私を抱っこし、優しく笑っていた祖父の姿は変わり果てていた。機械の音が乱れはじめ、静かだった部屋が急に騒がしくなった。「知佳、早く来て声かけたって!」と言われ、そばに行った私は「じいちゃん」と呼ぶのが精一杯だった。私が生まれる時、母の陣痛を見ていられず、うなぎを買いに行ったじいちゃん。生まれてからは写真を撮りまくり、写真の裏には、まだ話もできない私のセリフまで書いていたじいちゃん。おいしいものは自分が食べず、「知佳に」が口癖だった。大事な筆で広告に絵を描かせてくれたじいちゃん。私が初めて歩いたのはじいちゃんの部屋だった。じいちゃんに伝えたいことがいっぱいあるのに、言葉が出てこなかった。握っていた祖父の手がそれを察したかのように一瞬動き、機械の音が止まった。ベッドを囲んでいたたくさんの親せきや近所の人たちが涙を流した。
この世に生まれ来るいのちと、この世を去るいのち。どちらも重かった。大切にそして愛おしく想う心が、いのちを尊くかけがえのないものにするのだ。自分のいのちは自分だけのものじゃないと感じた。多くの想いが詰まった私のこのいのち。いのちのはじまりと終わりを感じた瞬間を忘れずに輝かせたい。そして将来、たくさんのいのちに関わる仕事につき、どのいのちもかわることなく大切なんだと伝えていきたい。

 

佳作

『空間』

佐藤 巴香さん(大阪府立千里高等学校2年)

私は最近、ある事情で生まれたときから十数年間過ごしてきた家から立ち退かなければならなくなった。自分の衣服や小物の荷物をまとめていくと、せまく感じていた部屋はみるみる広くなっていき、黄ばんだ壁には掛けていた時計の形がくっきりと白く残っていた。すべての物をまとめ終えて、私は再度一つひとつの部屋を見渡した。そこで、あることに気付いた。荷物はもう残っていないのに、「何か」が残ったままだ、と。
家は小学校と中学校のどちらからも歩いて五分の距離にあり、よく学校帰りに友だちを家によび遊んだものだった。その内容といえば、大半はおしゃべりだったが、テレビゲームやお菓子作りなどもしたような気がする。そして、友だちが家に来たときは母がジュースを出してくれるのが定番だった。高校生になってからは、通学時間が一時間も増え、友だちを家によんで遊ぶことはなくなったのだが、そうやって気兼ねなく友だちをよべる空間を持つこの家が好きだった。なぜこの家はそんな空間を持っていたのか。その答えはとても簡単だ。私を愛してくれる家族がいたから、それだけである。
この家に残る「何か」、それは私と家族がつくりあげてきた「空間」だ。まだ高校生の自分が言うのもおかしいかもしれないが、人生で最も大切な十数年をこの家で過ごしてきた。そんな年月がつくりあげてきた「空間」が新しい家ですぐにできることはないだろう。しかし、いつかまたその「空間」ができると信じている。なぜなら、私を愛してくれる家族がいるから。たったそれだけである。
この機会を通して、私はこの「空間」の存在に気付き、そして大切さがわかった。まだ新しい家に移ったばかりで不安なことばかりだが、だからこそこの機会を利用してまた違った「空間」をつくりあげていきたい。

 

佳作

『大きな勘違い』

パク キエさん(兵庫県・神戸朝鮮高級学校2年)

私は嫌われ者。みんなのみんなの嫌われ者。みんなが嫌う朝鮮学校に通う、みんなが嫌う朝鮮人。ずっとずっとそう思ってた。でもそんなこと無かったんだ。私は大きな勘違いをしていた。
そう気付かされたのもすごく最近で、六月末に街頭で行った署名活動がきっかけだ。何の署名活動かというと、朝鮮学校高校無償化除外を反対するというものだった。私は参加したくなかった。もちろん除外されたいわけじゃないし、むしろ適用されることを強く願っていた。でもそれよりも大きな不安があった。何か嫌なことを言われないか、暴力を振るわれたりしないか…。いろんな心配が込み上げて街に立つのが怖かった。すごくすごく不安で仕方なかった。
でも違った。まったく違ったんだ。いざ街に立ってみると、興味を示してくれる人、忙しい中立ち止まって署名してくれる人、それだけじゃなく「がんばってね」と励ましてくれる人までいた。びっくりした。私たちに向けられる笑顔と「がんばれ」という言葉が信じられなかった。急に自分が恥ずかしくなった。みんなの嫌われ者なんて大きな勘違いだった。そりゃあ私たちを拒む人もいると思う。それより私たちを理解してくれる人たちがいてすごく嬉しかった。すごくすごく感動した。
16年間の勘違いが晴れた私の心は、なぜかスーッと気持ちよかった。私の偏見だったんだってやっと気付けた。私は朝鮮学校に通う朝鮮人だ。うん。誇りをもって言える。これって幸せなことなんだろうな。これからも誇りをもってしっかりと生きていきたい。もっともっと認められるために、もっともっと生きやすい社会のために。  みなさん、これからも私たちをよろしくお願いします。