2014.10.15 

東アフリカでの青年海外協力隊活動レポート!~理学療法学科2期生

こんにちは。畿央大学健康科学部理学療法学科2期生(2008年卒業)の上野友也と申します。
私は青年海外協力隊(Japan Overseas Cooperation Volunteers:以下JOCV)として2012年9月から2014年9月の2年間、東アフリカのマラウイ共和国で理学療法士として活動しました。今回、その経験について語らせて頂く機会を得ましたので、活動内容や現地での生活、JICAについてなどについて、少しずつですが触れていきたいと思います。
 
まずJICAボランティア事業は、日本政府のODA(政府開発援助:Official Development Assitance)予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。(JICAホームページより抜粋)
途上国におけるJOCVの活動とは、技術・知識やアイデアを直接人との関わりの中で共有・伝達していく、お金のやり取りではない国際協力の方法の一つと言えると思います。職種や派遣国によって活動の形態は様々ですが、「お金によらない」「技術移転」「現場主義」という意識は、全JOCV共通のものと思います。
 
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私がJOCVへの参加を決めたのは、大学一年生の時でした。夏休みにボランティアとホームステイを目的にトルコへ行ったのですが、そこで経験した異文化コミュニケーションや国際協力の魅力に魅せられたのがきっかけです。最初は単純に「英語が喋れたら格好いい」という理由が海外へのモチベーションとなっていましたが、将来理学療法士として海外で働く場を実際に探していくことでJOCVに応募することを決意し、「30歳までには行って帰ってくる」という目標設定を行っていました。理学療法士としてJOCVに応募するには、ある程度の実務経験が必要であったからです(最低2年)。実際に私がJOCVに参加することになったときには理学療法士として働き始めて4年経ってからであり、その間に急性期から慢性期までの臨床経験、整形系から脳神経系、呼吸器系の勉強ができたのは幸運でした。また、「理学療法」と「国際協力」の2つのキーワードに該当する現場を求めれば、JOCVに辿り着くのは難しくありませんでした。
 
さて、2ヶ月間の国内研修を経て、派遣国のマラウイに向かいました。ちなみに国内研修では語学研修が主に行われますが、私の英語能力はそれ程高いものではなく、正直自信はありませんでした。しかし、その時は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と開き直り、現地での上達を目論んでいたのを覚えています(笑)。そして、やはり現地での生活や仕事は、私の英会話の上達に大きな影響を与えたものと確信しています。限定や制限をかけられた環境は人間を強制的に成長させるものだと分かったのは、JOCVを経験して気づいたことの一つです。現地で人々とコミュニケーションをとるには、もちろん現地語のスキルも必要でした。
 
私の任地は首都リロングウェにあるカムズセントラル病院という、マラウイでも有数の国立病院でした。職場では基本的に英語が話せれば良かったのですが、患者さんの多くは英語が話せなかったため、リハビリを行う上で必要最低限の指示や体の部位の名称などは覚えるようにしました。現地語で意味が若干でも通じると向こうの人はかなり喜びます。日本でも、外国の人にカタコトでも日本語を話してもらえると嬉しいですよね。ろくな会話はできませんでしたが、Ice breakとしての挨拶は、欠かさず現地語で行っていました。
 
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私の要請内容は、
①日常診療業務(患者・家族へのリハビリサービスの提供)
②現地スタッフへのリハビリ技術・知識の伝達と共有
の二本柱でした。マラウイには理学療法士を育成する養成校が1校しかなく、それも2011年に開始されたものなので、マラウイ産の理学療法士が現場にいないというのが現状でした。私が派遣されたのが2012年の終わり頃で、2013年になると養成校からの臨床実習生が病院に来るようになり、スーパーバイザーの役割も担うことになりました。
 
日本とマラウイの臨床実習の形式はかなり違っていました。実習が始まってすぐに実習生は患者さんを直接触り、会話し、評価・治療することが求められていました。もちろん、スーパーバイザーの指示を仰ぎながら行わせていましたが、彼らの積極的な姿勢には感じるものがありました。ただ残念ながら、そこは始まったばかりの養成校の学生たち。学校での教育環境がまだ十分に整っていないためか、基礎的な知識がかなり疎かなまま臨床実習に来ていました。理論を知らないままの治療技術、客観性が全くない評価法、患者さんの触り方や介助方法など、学生たちが見せてくれたパフォーマンスには何度も驚かされました。当初はそれらを一つ一つ説明し正しい方向へ導けるほどの英会話能力もなかったため、プレゼンの場を設けたり、実際に効果を見たり感じたりしてもらうことに重点を置きました。また、臨床実習に合格するかどうかを決める試験は、実際に患者さんを評価・治療することで行われていました。スーパーバイザーはその場で質問し、評価表に基いて学生の点数が付けられていました。驚いたことに、その場に患者さんを呼び、協力してもらうのです。わざわざ外来の日をずらして来てくれる患者さんもいました。しかし、そこはアフリカの国。全て時間通り、計画通りに行くわけがなく、当日患者さんが来なかったり、実習生が時間になっても現れなかったりしました。でも、周りのスタッフは動じることなく、サクサクっとスケジュールを変えていきました。日本では有り得ないことが、向こうでは有り得るのです。こちらの常識は、向こうにとっては非常識に当たることもあるのです。これを面白いとも取れるし、不快だと取ることもできます。そういう違いに気づいた時に人は、何らかの成長をするのでしょう。日本に帰ってからも、気づきに敏感になっていると思います。
 
ある程度英会話でのコミュニケーションが可能になってくると、学生たちの要望に答える形でのフィードバックや勉強会ができるようになりました。2014年7月、私が派遣されて間もない頃に実習生としてやっていた学生たちが大学を卒業しました。メイド・イン・マラウイの理学療法士が誕生したのです。この1期生たちは今年9月より、カムズセントラル病院ともう一つの国立病院の2箇所で一年間のインターンに入りました。インターンが終了して晴れて理学療法士として働けるのですが、この新人たちには雇用の問題が待ち受けていると言われています。国の予算の半分以上を寄付にて賄っているマラウイですから、国立病院にすらスタッフを雇う余裕がないのです。国が関わる雇用問題に対してJOCVにできることは限られますが、インターン・実習生の教育問題と雇用問題、この2つの大きな問題は今後も支援の対象となるものと思われます。
 
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現地での普段の生活については、首都隊員であった私にとっては苦にならない程度のものでした。それでも、週に2〜3回は夕方から夜にかけて停電したり、たまに断水も起こっていました。一方で、地方や村で活動する隊員の場合、電気も水道もないところで生活することもあります。火が無ければ炭で火をおこし、携帯を充電したければソーラーパネルで充電、水が必要なら井戸から汲んできて煮沸して使う、といったことを2年間行うのです。ご飯を作るにしても、市場で食料がトマトと玉ねぎしか売ってない!なんてこともあるそうです。
 
こうして見ると、一見村での生活は過酷を極めるものにしか見えませんが、私はむしろ村での生活に憧れていました。村での生活にはご近所付き合いがあるからです。首都で生活していると、各家は防犯のためのレンガフェンスで囲まれているため、お隣さんとの交流がほとんどありません。一方で、村にいる隊員の多くは、立派なものでも藁のフェンスに囲まれている程度で、比較的ご近所との付き合いができるようでした。また、村レベルでの活動を行うため、村の人達とは仲良くなれるのです。また、家畜(犬、猫、やぎ、ニワトリなどなど)が飼えるのも村の生活ならではだと思います。私の同期の中には、飼っていた犬を日本に連れて帰った隊員もいました。自分で育てたニワトリが産んだ卵を食べる、ニワトリを捌いて調理するといったことも、隊員である間くらいしかできないでしょう。
 
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マラウイで経験したことのほとんどは日本では経験のできないことでした。また「ボランティア」という立場でないと見えないもの、感じられないものも多かったです。そして、今の自分の理学療法士としての実力と理学療法士という仕事の可能性も感じられました。途上国で活動する場合、目標や課題を定めることが難しい場合があります。なぜなら、ある問題が見えていたとしてもそのアプローチ方法は多岐多色であり、理学療法士の垣根を超えて他職種に助けてもらわなければならないことがほとんどのケースで見られるからです。これはリハビリ分野のみならず、どの職種どの分野でも言えると思います。JOCVに参加する前の私は、リハビリ専門分野に重点を置いて活動していたように思いますが、この考えはマラウイに来てからあまり役に立ちませんでした。むしろ、いかに他の職種を巻き込むか、いかに限られた環境や資源の中でベストの選択をするかが重要であったように思います。
 
例えば「栄養」「教育」「母子保健」といったキーワードは、理学療法士ならば一応は心得ているものだと思います。しかし、実際にこれらにアプローチするにはどうしたら良いかは、一理学療法士にできることは限られます。しかし、理学療法士にしかできないこと、伝えられないこともあります。途上国では、私達理学療法士以外には小児麻痺の子供を持つお母さん達へ、子供の抱き方や子育ての仕方を教えられる人材はいません。脳卒中後後遺症を呈した高齢者のトランスファーの仕方を家族に教えられる人材もいません。運動(mobilization)に関する知識は理学療法士がNo1です。こういった十人十色の臨床症例は、「私達は理学療法士として何ができるのか」を常に考えさせてくれるのです。この疑問を肌で感じ、自分の答えを出すことが、私の2年間の目標でした。そして2年たった今、改めて、今後も理学療法士として頑張っていきたいと思っています。このことは、今後の10年後、20年後の自分にとっての大きな財産になるだろうと思います。自分の中で理学療法士としての基盤ができたように思うからです。協力隊に行けば全員が全員、こういった感覚を得られるとは思えませんが、自分の考えと行動を変えたいのであれば、外的環境を変化させてみるのも一つの手段かもしれません。内的環境(思考や常識、自前の理論など)を変えることは、変えたいと思っていても難しいものです。海外でなくても良いですが、自分を「限定・制限された環境(時間的、物的、言語的)」に置くことは、ある種自分の殻を破る一つの方法だと思います。私にとってはそれが海外&途上国での生活であったというだけのことで。今の日本にこういった制限はあまり見られません。敢えて言うなら、締め切りといった時間的制限は日本特有の厳しさがありますが。
 
これから理学療法士になろうとしている方々、理学療法士として働き始めた方々へ私がアドバイスさせて頂けるのであれば、「いかに自分の思うように行動し、変化の中に飛び込んでいけるかを考えて学んでほしい」ということです。そのことが自分に多くの気づきを与えてくれるはずです。周りと差別化し、自分の理学療法士像をしっかりと持っていなければ、今後理学療法士の数が爆発的に増加するに伴って自分の居場所を見失ってしまう恐れがあります。そのために協力隊に参加しろというのではありません。協力隊は一つのツールであり、ゴールではないからです。ですが、選択肢は多いほうが良いでしょう。ぜひ、「国際協力」というキーワードを自分の頭の中の検索機能にインプットしてあげてください。私で良ければ、ご質問などには出来る限りお答えさせて頂きます。
 
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最後に、私の今後の目標についてですが、単刀直入に言うと、今後もこういった国際協力の現場で働きたいと思っています。ただし、今までの理学療法士としての経験も活かしたいと思っていますし、今後も自分なりの理学療法士像を追い求めていくために、「理学療法士」と「国際協力」の2つのキーワードを基に、JICAに限らずUNVやNGO,医療コンサル、国際病院も含めた幅広い視野でもって自分の活躍できる現場を探していきたいと思っています。最終的な終着点はまだ明瞭となってはいませんが、上記にあげた2つのキーワードに加え、「3つ目のキーワード」が見つかった時、自分の最終目標が決まるのだと思います。この最後のキーワードを探すために、次の5〜10年、自分の好きなことに邁進していきたいと思います。
 

理学療法学科2期生 上野 友也

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