2015.09.02 

看護医療学科4回生が国立ハンセン病療養所を訪問~学生レポート「健康学特論」

こんにちは☆
看護医療学科4回生の喜島です(^ω^)
 

今回は看護医療学科4年次前期開講の、健康学特論(保健師課程必修科目)についてご紹介します☆

 
この科目の内容は、シラバスを引用すると「日本における医療には輝かしい成果がある反面、目を覆いたくなるような現実があります。医療分野において、人権を徹底的に踏みにじった歴史であるハンセン病問題を直視し、その現場に赴きます。また、マイノリティの健康問題、ヘルスプロモーションについて学習します。これらによって、自身におけるこれからの看護・医療のあり方を再度検討し直すことを目的とします。」とあります。
 
これに基づき、「人権と医療問題に関して、基本的な知識の習得」「マイノリティの健康問題、ヘルスプロモーションに関する知識の習得」などを到達目標としています。
 
授業は全て8月に集中的に行われ、講義や事前学習を経て25日からは1泊2日で岡山県にある国立ハンセン病療養所にて学外学習を行いました☆
 
<1日目>
五位堂駅前から観光バスで約3時間。長島愛生園に到着です。ここは、1930年に国立療養所として最初に開園した施設。園のある長島は、1988年に邑久長島大橋が架橋されるまでは、文字通り本州と隔てられた離島でした。それ故、隔離の必要が無い証としてのこの橋は別名「人間回復の橋」とも呼ばれています。
 
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▲移動は観光バスで!                   ▲長島愛生園に到着☆
 
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▲旅館屋上から見た長島全景                 ▲これが人間回復の橋(邑久長島大橋)
 
園に到着し、見学させて頂く頃には台風の影響で雨と強風に見舞われました。
そんな中、園内をご案内頂いた庶務課の森さんとボランティアの羽原さん、本当にありがとうございました☆
 
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(写真左)収容桟橋についての説明(羽原さん)島へ上陸する際、桟橋は職員用と療養者用とに分けられていました。
(写真右)「回春寮」(収容所)内にあるクレゾール消毒風呂。療養者はまずこの風呂に入らねばなりませんでした。所持金も全て取り上げられ、園内でのみ使用できる園内通用票に替えられたのです。徹底した逃走防止策を取っていたようです。
 
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(写真左)強風の中を行く
(写真右)園内の要所要所にこの盲導ラジオがあります。ハンセン病で失明に至った方々のための設備です。
 
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▲坂の上に明石海人旧居「目白寮跡」があります。療養所へ入所後、短歌や詩、散文に才能を発揮した海人の功績は当時の療養者に希望を与えたそうです☆ ハンセン病療養者による創作を総称して「ハンセン病文学」というジャンルもあり、海人の他に北條民雄らが著名です。
 
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▲こちらは納骨堂。なぜ療養所内に納骨堂が必要なのでしょうか。実は、ハンセン病の療養者はいわれの無い不当な差別を受け、結婚が破談になったり家族や親族とも絶縁状態になってしまったり、更には自身も子どもを作ることが許されず(断種手術を半ば強制的に受けさせられた)、結果として入れるお墓やそれを守る人もいなくなった人が多いのです。
 
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▲愛生歴史館を見学させて頂きました。          ▲園内通用票
 
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(写真左)二重湯呑み。ハンセン病の後遺症の一つに知覚麻痺があります。手の温痛覚が消失し、熱さを感じなくなってしまうと気付かないうちに火傷を負う危険性があるので、こうした湯呑みが作られました。
(写真右)長島愛生園入所者自治会会長の中尾さんによる講話。ご家族から「子どもが大きくなるまで来ないで欲しい」と言われたこと、ご家族が亡くなったことを長く知らされないままだったことを伺い、心が痛くなりました。
 
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▲旅館に到着した後、カンファレンスを開きました。ここで、この日の学びをグループ内でまとめ、発表して共有します。
 
<2日目>
翌日は台風一過、天候にも恵まれました。
 
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▲瀬戸内の海の幸に舌鼓♪                 ▲さあ、今日も1日がんばろ~!
 
2日目は同じ長島の中にある邑久光明園を訪問しました。
 
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▲バスから見た邑久長島大橋                ▲国立療養所邑久光明園に到着
 
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(写真左)イメージキャラクターこみょたん登場♪
(写真右)青木園長より講話。医師という立場からハンセン病について、根拠のはっきりしている実態をご説明頂きました。ハンセン病に感染した療養所職員はいないこと(原因菌の感染力は弱い)、感染しても発病する人は極めて少ないこと(不顕性感染がほとんど)、国が豊かになると罹らない病気で最近の新患は年間数名のみ、抗生物質治療により治癒する病気であること、もともと隔離の必要性は無く、特別な院内感染対策も不要であることなど。しかし、抗生物質が効いて治癒すると分かってからも隔離や差別が続いたという事実に愕然としました。医療職を志す者として、この歴史を教訓に同じことを繰り返さないことが必要だと感じました。それが、医療専門家の責務だと思います☆
 
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▲邑久光明園の納骨堂(写真左)としのびづか公園にある胎児等慰霊之碑(写真右)こちらでも手を合わせて来ました。
 
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▲邑久光明園では、監禁室も見学させて頂きました(監禁室は長島愛生園にもあったのですが、そちらは壁のみになっていました)。鉄の扉をくぐって建物に入ると、木の格子で区切られた写真右のような部屋がいくつかありました。らい予防法(1996年廃止)により園長に与えられた「懲戒検束権」を行使し、些細なことでここに入れられた人が多くいたのです。逃走を理由とする監禁が最多だったとのことでした。
 
この科目の履修を通して私は、次の3つが必要であることを学びました。
①医療者として病気の治療と、患者さんの人権のバランスを取ること
②根拠に基づいた正しい情報を発信すること
③思い込みや過信を捨て、間違いを素直に認めて、何が正しいのかを見極めようとする謙虚な姿勢
 
<発表会>
授業最終日は学びの発表会です。それぞれが得た学びをグループごとに発表し、全体で共有しました。
多くの学びをいかに発表時間内に収まるようにまとめるか、余り時間が無い中で頑張りました☆
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<二重の差別について>
最後に、在日朝鮮人でハンセン病に罹った方が受けた二重の差別についてご紹介します。
これは、療養所訪問に先行して行われた、四国学院大学の金永子先生の講義で触れられました。
1959年に国民年金法が制定されても、国籍要件があったために外国人は国民年金から排除されました。
また、新規の在日の入所者は、なかなか部屋が決められず、精神的苦痛から自殺を図った人もいました。
このように、在日朝鮮人のハンセン病患者さんは、在日であるということとハンセン病であるということの、二重の差別を受けていました。つまり、療養所内の入所者の間でも序列のようなものがあったのです。
マイノリティの健康問題については、国際看護論の授業でも触れられました。現代社会にあって、考えていかなければならない問題だと思います。目の前の患者さんだけでなく、社会の中にあるこうしたマイノリティに関する問題についても思いをはせることが必要だと感じました。

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