2014.06.10
老年看護学援助論Ⅱにおける「高齢者疑似体験」をレポート!
高齢者疑似体験をしました!
老年看護学では、看護医療学科3年次の老年看護学援助論Ⅱの授業の中で『高齢者体験スーツ』や『おいたろう』を着用して、高齢者の疑似体験をしています。疑似体験をすることで。加齢による高齢者の体の変化や気持ちを理解することや、援助者としてどこをどのように援助したら高齢者が安全に生活でき、自分の持てるちからを発揮しやすいかなどを学ぶ演習です。
今年は5月22日に実施しました。演習内容としては、ベッドの上り下り、歩行、買い物をして財布からお金を出す、手紙を書く、ポータブルトイレに座るなどです。以下は、演習終了後の学生のレポートからの抜粋です。
<Aさん>
視界がとても狭くなっていて、前は見えるが下や横が見えなくて、新聞を読むときかなり首を曲げないといけないのでしんどかった。また歩く時も下が見えないので通路にある椅子に気づかず、怖いと思った。⇒後ろや横など見えないところからしゃべりかけられても怖いだろうと感じたので、これからはこの人はどこまでなら見えているのかを考えて、その人の視界に入って話しかけようと思った。何気ない自分の行動が高齢者にとって恐怖を与えていることもあることを念頭において行動しようと思った。
音楽が流れているのは気がついたが、曲や歌詞まではわからなかった。また声はある程度聞こえるので会話はできるが、視界が狭いため正面にいる人とは会話できるが横や後ろにいる人に話しかけられても見えないから、自分に話しかけられているのかわからなかった。⇒大きな声ではっきりと話さないと伝わらないと実感した。
<Bさん>
買い物では、紙の束から指定された枚数をめくったり、財布から小銭を出したりなどの細かい作業がとても難しかった。また、杖をつきながらでは両手を使う動作ができず、いったん杖を置かなくてはならない。その際にある程度体制を保持できる場合はいいが、保持できない場合は体制を崩しやすかったり、姿勢を保持するのに力が入り疲れやすくなることが予想できた。⇒高齢者のことを一見弱々しい、頼りないと、見た目やゆっくりした動作から思っていたが、自分の体がだんだん動きにくくなっているという辛い現状をしっかりと受け止めながら日々を過ごしているという、実は強い人であるという風に考えが変わった。また、正直、今までは「若い子は元気でいいな。年取ったらなんもできへんようになるわ」という言葉を、高齢者の言い訳のように受け止めていたが、その言葉の本当の意味がわかり、高齢者に対する理解が深まった。
<Cさん>
歩く時に歩幅が小さくなっていた。足が肩幅くらいに広がってしまっていた。一つ一つの動作を行うときに、猫背になっていることが多かった。また猫背なので歩きにくく、杖が手放せない状態だった。⇒高齢者は動きがゆっくりで、耳が聞こえづらいなどと初めから決め付けている部分があった。そして実際に体験してみると、自分が思った以上に体を動かしにくかったり、声が聞こえづらかった。しかし、折り紙を折ればきれいに折れたし、動きも慎重に行えばしっかり動けることがわかり、決めつけていた自分のイメージとは違っているなと感じた。
<Dさん>
視野が狭く、歩いている時足元が見えにくかったので、自分の持っている杖に足を引っ掛けてしまった。自分は筋力があるので何ともなかったが、高齢者だとそのまま転倒してしまうかもしれない。椅子に座るのがしんどくて、座ってからも折り紙を折る際、肘を着いてしないと腕が辛くて、動かすだけで苦痛だった。立ったり座ったりが億劫で、歩くのも長距離だとかなり体力を使うだろうと感じた。⇒高齢者は、何をするのもゆっくり動いているイメージだったが、腰も足も腕も重たく、動かすのが面倒でしかも膝や腕の関節が曲がりにくいためつまずきそうになったので、動きの遅い高齢者に対し、今後はいらいらしないようにしようと考えた。また長時間立っているのがしんどいと感じたので、祖父母と出かけるときは、短めに用事を終わらせるなど工夫しようと思った。高齢者の認知や身体機能を理解して、できる範囲のことは自分でできるように、援助しすぎないことがその人の筋力の保持や自尊心を傷つけないようにする上で大切だと考えた。