経頭蓋直流電流刺激による社会的認知機能の向上
PRESS RELEASE 2017.5.9
「自他区別」,すなわち自分の思いや考えと他者の思いや考えは異なることがあると理解した上で,他者の考えや意見を参考にしつつ,自身の考えや意見をより良いものにしていく能力は,社会生活において重要です.一方で,「視点取得」といって,他者の視点に立って物事を考える能力は,他者の意図や感情といった心的状態を適切に理解する上で重要です.畿央大学ニューロリハビリテーション研究センターの信迫悟志らは,経頭蓋直流電気刺激(transcranial Direct Current Stimulation:以下,tDCS)を用いて,右頭頂-側頭接合部および右下前頭皮質の神経活動を促進すると,自他区別や視点取得といった社会的認知機能が向上することを明らかにしました.これは,社会性の神経基盤を説明する基礎的知見になるものと期待されます.この研究成果は,Frontiers in Behavioral Neuroscience誌(Transcranial direct current stimulation of the temporoparietal junction and inferior frontal cortex improves imitation-inhibition and perspective-taking with no effect on the Autism-Spectrum Quotient score)に掲載されています.
研究概要
自閉症スペクトラムは,主に社会性に困難を認める発達障害です.自閉症スペクトラムの神経科学的な説明として,右頭頂-側頭接合部(Temporo-Parietal Junction:以下,TPJ)や右下前頭皮質(Inferior Frontal Cortex:以下,IFC)の機能不全が指摘されています.TPJは他者の心的状態を見出したり推論したりする能力(メンタライジング)の中核領域とされています.IFCは,模倣や共感の神経基盤とされるミラーシステムの主要領域です.
「自他区別」や「視点取得」のような社会的認知能力を客観的かつ定量的に測定するのには,困難が伴います.そんな中,自他区別能力を反映する課題として,模倣抑制課題(図1)があります.この課題は,画面上に表示された数字に従って,人差し指か中指を持ち上げる課題です(①なら人差し指,②なら中指).その際,指示と動画が一致している条件と異なっている条件があります.通常,ヒトは目前の他者の運動を真似ることよりも,他者の運動と異なる運動をすることの方が難しくなります.これは,模倣や共感を担うミラーシステムの自動的活性化によるためとされています.したがって,ミラーシステムの働きによって,一致条件の反応時間や正答率は促進され,逆に不一致条件では他者運動に干渉を受けて,反応時間が遅くなったり,正答率が低下します.つまり他者の運動につられてしまうわけです.この影響を模倣干渉効果と呼び,それが小さくなるほど自他区別がしっかりできていることの一指標となります.
図1:模倣抑制課題
また視点取得課題(図2)では,素早く他者の視点に立って物事を見る能力を定量的に測定することができます.図2の視点取得条件をご覧ください.あなたはラックの手前に立っています.ラックの向こう側では,男性があなたに向かって「1番大きなコップに触れてください」と指示を出しています.実際,1番大きなコップは,青丸で囲んだコップですが,この条件では,指示を出している男性からは,そのコップが見えていないことに気が付く必要があります.そして,男性が言っている1番大きなコップとは,赤丸で囲んだコップだと認識する必要があります.
図2:視点取得課題
信迫らの研究グループは,tDCSという脳活動を修飾することできるニューロモデュレーション技術を用いて,自閉症スペクトラムにおいて機能不全が指摘されているTPJとIFCの脳活動を一時的に促進させた際の模倣抑制,視点取得,そして自閉症スペクトラム指数(Autism spectrum Quotient:以下,AQ)に与える影響について検討を行いました.AQとは,個人の自閉症傾向を測定するスクリーニング検査です.その結果,TPJ刺激とIFC刺激の両方において,模倣抑制と視点取得が促進されることが示されました.一方で,AQには影響を及ぼさないことも示されました.
本研究のポイント
tDCSによるニューロモデュレーション技術によって,自他区別や視点取得に関係する大脳皮質領域を明らかにした.
研究内容
本研究ではtDCSを用いて,TPJとIFCの神経活動を一時的に促進する手続きを加えることで示される模倣抑制や視点取得,AQへの影響を検討しました.実験では,右TPJを刺激する群と右IFCを刺激する群の二群を設定し,それぞれプラセボ刺激(脳活動に影響を及ぼさない刺激)を加え,模倣抑制課題と視点取得課題の正答率,反応時間およびAQを測定しました.その結果,TPJ刺激とIFC刺激の両方の群において,AQに対しては影響を及ぼさないものの,模倣抑制と視点取得の反応時間を促進することが示されました(図3,4).
図3:模倣抑制課題の結果
図4:視点取得課題の結果
模倣抑制は,眼前の他者運動を抑制して,指示に従う必要があるため,他者を抑制し,自己を促進する課題とも言えます.一方で,視点取得は,自分の見えを抑制して,他者の視点に立つ必要があるため,自己を抑制し,他者を促進する課題とも言えます.このように一見すると対照的な課題ですが,本研究では,TPJとIFCの両方が,両課題に関与していることが示されました.この研究結果に対して研究グループは,IFC(ミラーシステム)とTPJ(メンタライジング)は,社会的認知において競合するシステムではなく,所与の行動的状況において適切な社会的相互作用を確実にするために,お互い相乗的・相補的に働くシステムであると考察しています.
本研究の意義および今後の展開
本研究成果は,自閉症スペクトラムに関連する社会性の神経メカニズムを説明する基礎的知見のひとつになるものと期待されます.本研究により,TPJとIFCの両方が,自他区別と視点取得に貢献していることが明らかになりましたが,自閉症スペクトラム傾向を
反映するAQとの関連については未だ明らかになっておらず,この点に対する更なる研究が望まれます.また,本研究成果は,模倣抑制や視点取得といった運動・行動課題による訓練が,社会性の向上につながる可能性も示唆しており,今後は社会性向上を目指したニューロリハビリテーションに関する研究も望まれています.
論文情報
問い合わせ先
畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター
畿央大学大学院健康科学研究科
特任助教 信迫 悟志(ノブサコ サトシ)
Tel: 0745-54-1601 Fax: 0745-54-1600
E-mail: s.nobusako@kio.ac.jp