恐怖文脈が身体所有感と疼痛閾値に及ぼす影響

PRESS RELEASE 2022.4.27

身体的あるいは精神的な苦痛を有する人は「自分の身体」を自分のものと感じられなくなることがあり, これは身体所有感(sense of ownership)が低下した状態と考えられています.身体所有感の低下は, リハビリテーション効果を阻害するため, 身体所有感に影響する要因を検証することは重要です. 畿央大学大学院 修士課程 修了生 田中 智哉 氏 (市立福知山市民病院)と 森岡 周 教授らは, ラバーハンド錯覚実験を用いて, 外傷のある偽物の腕に対して身体所有感を惹起させる際に, その腕に対して恐怖を生じさせる言語情報を与え,その影響を検証しました. その結果, 主観的な身体所有感を増加させ, その増加の程度が大きい人ほど, 痛みを感じやすくなることを明らかにしました. この研究成果はFrontiers in Human Neuroscience誌(Verbal suggestion modulates the sense of ownership and heat pain threshold during the “injured” rubber hand illusion)に掲載されています.

研究概要

身体的および精神的な苦痛を有する人は「自分の身体」を自分のものと感じられなくなることがあり, これは身体所有感が低下した状態と考えられています.身体所有感の低下は, リハビリテーション過程において回復を阻害する因子であると考えられていることから, 身体所有感に影響を与える要因を検証することは重要です. 一般的に, 身体所有感は視覚, 触覚, 固有感覚(位置情報)といった情報など,ボトムアップ情報を統合することによって生まれると考えられています. 一方で近年では, 文脈などのトップダウン要因も関与することが議論されています. 文脈の操作として言語情報が最も簡易に用いられますが, 身体所有感に与える影響は十分に検証されていませんでした. 畿央大学大学院 修士課程 修了生 田中 智哉 氏(市立福知山市民病院)と 森岡 周 教授ら の研究グループは, ラバーハンド錯覚という錯覚現象を用いて, 外傷のある偽物の腕に対して身体所有感を生じさせる際に, トップダウン要因の操作として, その腕に対して恐怖を生じさせる言語情報を与えました. その結果, 客観的な身体所有感には影響を与えませんでしたが, 主観的な身体所有感を増加させ, その増加の程度が大きい者ほど疼痛閾値は低下し, その影響度合いには個人差があることを明らかにしました.

本研究のポイント

■ラバーハンド錯覚時に恐怖を生じさせる言語情報を与えると, 偽物の手に対する主観的な身体所有感が増加しました.

■ラバーハンド錯覚時に恐怖を生じさせる言語情報を与えると, 主観的な身体所有感と疼痛閾値には有意な負の相関関係を認め, 言語情報の影響には個人差があることがわかりました.

研究内容

ラバーハンド錯覚: 参加者からは偽物の手のみが見えている状況(図1a)で, 実験者は筆を用いて参加者の本物の手と偽物の手に対して同じタイミングで触覚刺激を加えると, 参加者は徐々に偽物の手を自分自身の手であると錯覚します(錯覚条件). 一方, 異なるタイミングで触覚刺激を与えると, 錯覚が生じにくくなります(非錯覚条件).
本研究においても, 錯覚条件と非錯覚条件の2条件が, 第一実験では各偽物の手に対して, 第二実験では各参加者に対して行われました.
第一実験: 15名の健常人が参加し, ラバーハンド錯覚によって惹起された外傷のある偽物の腕に対する身体所有感と, 錯覚後の疼痛閾値の程度を, 外傷を有していない健常な偽物の腕のそれらの程度と比べました(図1b).
その結果, 錯覚条件における主観的な身体所有感は, 外傷のある偽物の腕と健常な腕は同程度惹起されることがわかり, 外傷のある偽物の腕を用いるラバーハンド錯覚は実験として成り立つことをまず確認しました.

図1. ラバーハンド錯覚の実験セット(a) と使用したラバーハンド (b)

 

第二実験: 30名の健常人が参加し, 外傷のある偽物の手のみを用いたラバーハンド錯覚を行いました. その際, 参加者はランダムに「恐怖文脈あり」と「恐怖文脈なし」の2グループ(それぞれ, 15名ずつ)に分けられました. 「恐怖文脈あり」はラバーハンド錯覚を行う際に, その偽物の腕に対して恐怖文脈を生じさせる言語情報を与えました. 一方,「恐怖文脈なし」は, その腕に対して恐怖文脈を引き起こさない言語情報を提示しました(図2).

図2. 言語情報の要約

釘が刺さっている腕の背景について各グループ「恐怖文脈あり」と「恐怖文脈なし」で異なる説明を行った.

その結果, 「恐怖文脈あり」の錯覚条件では, 主観的な身体所有感を増加させ, その増加の程度が大きい参加者ほど, 痛みを感じやすくなることが明らかになりました図3b).

図3. 主観的な身体所有感 (質問紙) の結果および疼痛閾値との相関関係

ラバーハンドの所有感と痛みの感じやすさについては, 「恐怖文脈あり」×錯覚条件のみ有意な負の相関関係を認めた. *p<0.05

本研究の臨床的意義および今後の展開

身体所有感と痛みに影響する要因の一つとして, 言語情報が関与することがわかりました. これは, 医療者による対象者への病態説明などの言語情報が, 身体所有感や痛みにも影響する可能性が示唆される知見と考えています. しかし, 慢性的な痛みを有する者と健常者では, ラバーハンド錯覚に対する反応が異なることが報告されています.そのため, 今回明らかになったことが臨床において, そのまま応用できる訳ではありませんので, 今後は, 健常者と筋骨格系疼痛を有する方の身体所有感の違いに関して検証していこうと考えています.

論文情報

Tomoya Tanaka, Kazuki Hayashida, Shu Morioka

Verbal Suggestion Modulates the Sense of Ownership and Heat Pain Threshold during the “Injured” Rubber Hand Illusion

Frontiers in Human Neuroscience, 2022

問い合わせ先

畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター
畿央大学大学院健康科学研究科
教授 森岡 周
Tel: 0745-54-1601
Fax: 0745-54-1600
E-mail: s.morioka@kio.ac.jp