2018年11月29日の記事

2018.11.29

国立ハンセン病療養所を訪問~看護医療学科「健康学特論」

看護医療学科2回生の34名は「健康学特論」(看護医療学科2年次後期 保健師課程科目:文鐘聲准教授)の授業において、在日外国人の健康問題やハンセン病の歴史、今なお残るハンセン病への差別や偏見について学習をしました。   ハンセン病は、ごく弱い感染力しか持たない感染症の一種で、現在は日本国内での新規患者はほとんどいません。戦後すぐに抗生剤が導入されたことにより劇的に治癒しましたが、治療が遅れた患者さんは感染症そのものは治っても、後遺症として知覚麻痺などの末梢神経障害を残してしまいました。また、人への感染の危険性はないにもかかわらず、1996年まで療養所への隔離を強制する法律が残っていて、人権上非常に問題がありました。   2018年11月21日(水)には、大阪からバスに乗り、約3時間。岡山県瀬戸内市にある国立療養所長島愛生園を訪問させていただきました。療養所のある長島へ向かうには、邑久長島大橋と呼ばれるわずか135mほどしかない橋を渡ります。ちょうど30年前にこの橋は開通されましたが、それ以前までは橋はなく、完全に隔離された島となっていたため、「人間回復の橋」とも言われています。     長島愛生園歴史館では、学芸員の田村朋久さんより、入所者の方が4年掛けて作られた、療養所の立体地図をもとに、園内の説明をしていただき、その後館内の見学を行いました。     療養所内で実際に使われていたお金や着物(療養所では当時、ハンセン病患者を社会と完全に隔離するため現金や衣類などは一切持ち込めず、療養所内のみで使えるお金や衣類を使用していました。)、療養者が書いた手紙、詩、俳句、当時の写真などが展示されており、療養所内での生活や療養者の心情などハンセン病についてより詳しく知ることができました。     実際に田村さんに解説をしていただきながら、園内を歩いて見学させていただきました。 収容所桟橋では、多くのハンセン病患者とその家族が別れを経験したところで、「ハンセン病を患った子どもが母親に『旅行に行こう』と言われ、喜んで向かったところがこの長島であった。桟橋を渡る頃にはもう母親は帰ってしまった。」という実際にあったお話を聞きました。     続いて、収容所を見学しました。ハンセン病患者は長島に上陸した後、消毒を行うためにクレゾールという消毒液が入った、小さな消毒風呂に入らなければいけませんでした。     急な坂道を上がり、納骨堂で黙祷しました。 ハンセン病患者であることから、社会からの大きな差別を受け、故郷に帰りたくても、家族のことを思い、帰ることができず療養所内で亡くなった方がたくさんいらっしゃるということに心が痛みました。     高台に上がり、小豆島や晴れていたら淡路島まで見ることができるところに「恵の鐘」というものがありました。石材と砂を運び上げる作業を、療養所入所者と職員で行い、1935年に竣工されたそうです。毎日、朝夕の6時に自動で鐘が鳴るようですが、今回特別に学生が鐘を撞かせていただきました。     その後、集会所で大阪ご出身の長島愛生園入所者の方にお話をお聞きしました。 療養所に入所するまでの生活や、療養所へ来た理由、ハンセン病が治癒してから現在までの暮らしなど詳しく話していただき、社会からの差別など胸が苦しくなるようなお話もたくさんありました。差別をした人、ハンセン病を隔離する法律を作ったことについて恨んでいるか、という学生の質問に対して、「誰も恨んでいない。この時代に生まれたことは運命。自分だけではなく、病気をもつ人など、苦しんでいる人は世の中にたくさんいるということを認識できた。過去のことをどう考えても仕方ない。運命だと思えるようになった。」という前向きなお言葉もあり、入所者の強い考えにも驚きました。     短い時間でしたが、長島愛生園を見学させていただき、学習をするまで全く知らなかったハンセン病の歴史や人権について、より深く学ぶことができました。 ハンセン病に限らず、社会の中では多くの差別や偏見があります。誤った認識をしている人がいることによって差別や偏見の目は広がっていくのではないかと考えています。今回学習したことを活かして、まず私たちが正しい知識を持ち、差別や偏見が今後無くなり、人が自由に平等に生活できるような取り組みをしていきたいと思います。                   看護医療学科2回生 谷村彩 安田悠未    【関連記事】 ハンセン病療養所を訪問~看護医療学科 日本における感染症対策ーハンセン病の歴史ーを学ぶ~看護医療学科 ハンセン病療養所長島愛生園を見学~看護医療学科 「ハンセン病療養所訪問学習を通しての学び」報告会を開催しました。~看護医療学科